ブランデンブルク州、旧東ドイツ、ベルリンを楽しもう
by KIKI-Brandenburg
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   ★KIKIの自己紹介★
岐阜県生まれ、岐阜県育ち。
立教大学文学部ドイツ文学科卒業。同大学在籍中、交換留学生としてベルリン・フンボルト大学へ留学。
立教大学卒業後、フンボルト大学に正規学生として入学し、ヨーロッパ民俗学とジェンダー学を専攻。
2007年9月下旬に著書「がんばれ、ブランデンブルク州!」を出版。アマゾンなどネットの本屋さんでも買えます。「がんばれ、ブランデンブルク州!」で検索してください。ベルリンではDDR博物館でも売っています。興味のある方は私に直接問い合わせてくださっても結構です。

2008年8月の終わりに娘が産まれました!育児ネタもちょくちょくあります。

ドイツ語のプライベートレッスンをしています。興味のある人はここか、直接こっち(別ブログ)に飛んでください。

      ★お願い★
このブログ内の文章や写真に興味を持って引用/転載してくださる場合は、出典として明記してください。ネットの場合はリンクを張ったりトラックバック機能を使ってください。そして、そんな名誉なことがあれば、KIKIはぜひ知りたいので、ご連絡ください。

このブログはKIKIが趣味としてやっているものです。不快なコメントなどは削除しますのであしからず。

記事の内容に並々ならぬ興味をそそられた方、KIKIと直接コンタクトを取りたい方はメールでどうぞ。
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ブランデンブルク州の観光情報(州の公式観光案内)

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ランチコンサートに行きました

突然ですが、生活ネタです。

今日、フィルハーモニーのランチコンサートに行ってきました。
ランチコンサートってのはね・・・というのは、友達のまさとさんがブログ「ベルリン中央駅」でちゃんと取り上げてくれているので、そっちを見てもらうことにして・・・って、やっぱり説明しようかな。

a0104785_3192191.jpg写真はドイツ語のウィキペディアより。
フィルハーモニーってのは、ベルリンフィルのこと。コンサートホールは観光地として有名なポツダム広場にあります。黄色い、蜂の巣を連想させる私は個人的にはあんまり美しくないと思ってる外観をしていて、どうでもいいんですけれど、正面玄関より裏の出入り口のほうが見つけやすいです。
このコンサートホールでは、ベルリンフィル以外にも世界的に有名な音楽家が演奏をするし、そうかと思うとアマチュアのコンサートもやっていたりして、クラシックの好きな人ならサイコーに面白いところだと思います。

私も、何度かフィルハーモニーで演奏を聴く機会があったんですけれど、入り浸っていない理由は、まず音楽にはそんなに詳しくないということと、「今日の夜、なんかやってないかなー」なんていう感じではとてもチケットが手に入らないからです。
素晴らしい演奏が生で、それも日本より安い値段で堪能できるんだから、もうちょっと頻繁に行ってもいいよな、なんて思いつつ、なかなか「その気」にならないんですよね。

でも!そんな面倒くさがりでも楽しめるプログラムがあるんです。それがランチコンサート。なんと、タダです。毎週(なのかな?)火曜日の13:00から、一時間弱、コンサートホールの、階段などがある広い場所で行われていて、ふら~っと行って、その辺に適当に座ったり、立ったままで生の演奏を聴けます。

すごいねぇ、ベルリンって。お金ないのに、こういう太っ腹なことをしてくれる。

そういうコンサートがあることは知っていたし、ぜひ行きたいと思っていたんだけれど、火曜の午後って、私、大学の授業が入ってるんです。今日は空いていたので、ようやく、私も念願のランチコンサートデビューをしてきました(^^)

今日の曲目は

シューベルト:Quartettsatz c-Moll D 703
ドビッシー:Streichquartett g-Moll op. 10


両方とも日本語でなんていう曲なのか知らないです。Quartettは「カルテット」で四重奏、Streichquartettは弦楽四重奏だと思うんですけれど。

a0104785_3575633.jpgさて、実際に行ってみるとすっごい人でした。1000人くらいいたんじゃないかな。いくつもある階段にも、もう人が座りきれないほどたくさんいて、私は何とか空いていた、演奏者のちょうど上のへんで立って、途中からは床にそのまま座って聴きました。
演奏する人たちがちゃんとお給料もらってるのか知らないですけれど(笑)、こんなたくさんの人の前で演奏するのは、たとえランチコンサートであっても、うれしいことなんじゃないでしょうか。
そういえば、チェロ(Violoncello)を弾いていたのはMarumo Sasakiさんという、どうやら日本人っぽい女性でした。

どちらの曲も初めて聴くものだったので、演奏そのものが良かったのかどうかは判断できないんですけれど、生演奏が聴けたのがまず単純にうれしかったです。
シューベルトの方はなんてことなーく聴いてしまって、今になってどうコメントすればいいのか分からないんですけれど(^^;)、ドビッシーの方は私にとって新鮮でした。

私、誰がなんと言おうとショパンが好きなロマン派で、よほど耳がコンザバなのか、現代音楽の不協和音が耐えられない人なんですよ、実は。
ドビッシーか・・・ちょっと最近すぎるかなーなんて思っていて、たしかに現代っぽいといえばそうともいえなくない、なんというか、口ずさみにくい感じ(笑)の曲だったんですけれど、聴いていて、ふっと光景が浮かんだんですよね。

1楽章と2楽章はベルリンの雑多な道をフラフラ歩いていている感じ。きょろきょろしながら歩いて、ふっと目をやったり、通り際にいろんな匂いがしたり、突拍子も無く、いろんな情報が五感を通して飛び込んでくるような、そんな錯覚に陥りました。

それで、しみじみ良かったのが3楽章で、これがねー、もう、私は
「オーダー川のテーマ」にしたいくらい、あの鬱々と流れる川のイメージにぴったりなんですよ!あ、そんなに笑わないで。うん、全然関係ないですけどね、オーダー川。
3楽章の本当のタイトルはAndantino, doucement expressifで、多分なにかしら「ゆっくり」なんだろう、くらいしか私は分からないんですけれど、オーダー川じゃないにしろ、絶対、川でした。誰もいないオーダー川の岸辺で、しんみりと湿地帯を見たときの気分になったんです。

ドビッシーでオーダー川ですかい・・・ですが、ランチコンサート、いい経験になりました。
来週も、再来週もやっているようですから、時間の都合の付く人はぜひどうぞ!

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by KIKI-Brandenburg | 2008-01-30 04:53 | ベルリン生活

国立公園(5):できたのはいいものの・・・

まだまだしつこく続きますよ、国立公園シリーズ!

1995年に、晴れてブランデンブルク州唯一の国立公園として承認されたオーダータールですが、その後、いろんなゴタゴタが起きます。栄えある国立公園としてオープンしたのに、一体何があったのでしょう?

根本的な理由は、この土地が自然保護と縁のない歴史を辿ってきた事にあります。そう断言できるかどうか知りませんが、これが私の論文のテーゼだったんです(^^)。

オーダータールが自然の宝庫として注目されるのはドイツ東西統一後の話ですからね。それ以前は、政治的にタブーとされた地域、もしくは、人が入ろうにもろくに入れない地域に過ぎなかったわけです。
そして、DDR時代は、オーダータールの近くというのは、徹底的に人が手を加えて活用する地域だったんですよね。オーダータール沿いの街シュヴェートにはコンビナートができ、それ以外のエリアでは大規模農業をやっていた。国立公園の理念、簡単に言うと「自然が自然のままでいられる地域」というのとは正反対なことが行われていたわけです。

そんな地域だから、基本的に、そこに住む人々に「自然を大事にしなきゃ云々」なんていう意識が無いわけです。

それに、観光地として開発できない自然というのは、面倒なんです。だって、お金儲けができないでしょう。「エコツーリズム」にもあんまり期待できないんですよ、だって、人が立ち入れない地域が多いし、下手にホテルだのレストランだの建てるのもNGですからね。

それなのに、これしちゃダメ、あれしちゃダメ、という規則だけは山ほどある。以前は人が入れた地域が立ち入り禁止になってしまったり、魚釣りをしてはいけなくなったりして、住民にとっては迷惑この上ない。

そして、土地をめぐるいざこざが多発しました。国立公園を作ったと言っても、所々に個人の私有地があったんですね。それを公的な団体が買い上げて保護区にする、ということがおこなわれたんですけれど、その際に、土地を高く買いすぎただの、買わなくてもいい土地まで買っただの、買い方がメチャクチャだの、いろんなトラブルが発生したんです。
土地の問題に絡んで批判を浴びたのが、徹底した動植物の保護規則です。特に、オーダータールには絶滅危惧種の鳥類がたくさんいて、その保護というのは何よりも重視されました。

a0104785_454393.jpg写真は自然保護団体NABU(www.nabu.de)より。
これはウズラクイナという鳥で、ドイツ語ではWachtelkönig(直訳すると「ウズラの王様」)というのですが、これが特に大事な鳥なんですよ。私、ドイツ語の名前聞いたときに笑っちゃったんですけどね、だって、
ウズラの王様ですよ、あっはっは。
まぁ、ウズラのでっかいヤツなんでしょうね、きっと(本物を見た事ないです)。
でも、待遇はバッチリ王様なんですよ。だって、この鳥がいるところは速攻、鳥獣保護区になるんですから。ある日突然畑にこの鳥が来たら、その畑の持ち主は畑を手放さなきゃいけない。地元住民にとっては、王様というより、招かれざる客なんですけれど、とにかく、絶滅危惧種の保護は国立公園のミッションです。お鳥サマがいらっしゃったら人間はどかないといけない。理屈としては分かるけど、人間より鳥が大事なのか(怒)って、なりますよね、地元住民の間では。

地元住民とのゴタゴタだけでなく、地元の産業との折り合いをつけるのも大変でした。
だって、もともと、こんなの↓があるんですよ。
写真はPCK(www.pck.de)より。

a0104785_4331883.jpg
この石油化学コンビナート&Co.というのは、川とは反対側のところにあるのですが、オーダー川に直接面したところに、これまた巨大な製紙工場があります。
川をまたいで道やパイプラインを作りたいとか、川にもっと大きな港を作りたいとか、「ちょっと、ここ、国立公園なんですけど・・・」っていうようなことをやりたがったわけです。

こういう工場だけではなく、もともとあった大規模農場にも影響が出ました。保護区と被ってしまったところは立ち退きを迫られ、鳥が来たばっかりに、代々やっていた畑を手放さざるを得ない人たちもでてくるわけですから、地元の産業にはかなりの打撃です。

正直言って、地元住民もここまでの負担を想像していなかったんですね。
「家の近くに国立公園ができるんだって、楽しみだね☆」なんて思っていたのに、ふたを開けてみれば、面倒が増えたばかりか、運が悪ければ生活の基盤を脅かされる。そこまでの犠牲を払っても、地元が観光で潤う事も無く、住民に返ってくるものは何も無い。
「自然保護は大いに結構。でも、人間の生活を無視しないでくれ」という雰囲気になり、次第に国立公園側との亀裂が表面化してきました。

さて、どうなる、オーダータール?ということで、続きますっ!

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by KIKI-Brandenburg | 2008-01-29 05:18 | 自然保護区/公園

国立公園(4):東西ドイツ統一後

20世紀の前半にようやく開発されたものの、DDR時代にはまったくと言っていいほど注目されていなかったオーダータールですが、東西ドイツ統一後、この状況は一変します。

1995年にオーダータールはドイツで12番目の国立公園として正式に認められます。この背景には何があったのでしょうか?

以前説明したように、国立公園をもつことはある種のステータスなので、旧東ドイツのブランデンブルク州にも1つできることになりました。
さて、どこにつくろう??となったとき、いくつか候補はありました。そりゃ、面積の3分の1が自然保護区になるような州ですからね、自然の豊かな地域や、伝統的に保護されてきた地域もありました。
でも、問題は、国立公園の保護基準でした。国立公園というのは、国が認める保護区であるばかりでなく、国際的な基準にあっていなければいけません。そうでなければ、観光やイメージアップを図るために、いたるところに国立公園ができてしまいますよね。

自然保護区というのは、いろんなバリエーションがあって、国や国際レベルで規則や保護の目的というのが定められています。その中で国立公園というのは、一番規則が厳しい自然保護区なんです。簡単にいうとですね・・・

・一般の人が入れない地域が全体の半分以上ないといけない
・観光や地域開発のための公園ではない
・徹底した動植物の保護が目的

という感じです。となると、必然的に「人里離れた」ところになります。

a0104785_4465430.gif
図はWDR5のホームページ(www.wdr5.de)からお借りしました。
これがドイツの国立公園の一覧図なんですが、海とか山岳地帯が多いんです。人が入らないところ、入れないところ、もしくは入れないようにするのが比較的簡単な地域ですね。そうでないと、「全体の半分の地域が人の入らない地域」というルールに触れてしまうからです。

こうなると、海も山もないブランデンブルク州というのは大変です。
確かに、自然の豊かな地域はたくさんあるのですが、そういうところは保養地や観光地として開発されてしまっていて、国立公園の基準に合いません。

そこで白羽の矢が立ったのがオーダータールです。
なにしろ、国境と湿地で、人が立ち入る事のできなかった地域は珍しい動植物の楽園です。それに、DDR時代に、すでに「ラムサール条約」の保護下にも入っていて、国際的なお墨付きもちゃんとあります。そして、もともとポーランドとつながっているオーダータールですから、将来的には「国際国立公園」として扱う事も検討されました。

よっしゃ、オーダータールに決まりっ!!

ということで、ブランデンブルク州唯一の国立公園がオープンしたのですがー・・・そんなに楽ちんぽんに事が運ぶわけ無い、というのがブランデンブルク州のお約束です。次回は、この国立公園を巡るいざこざについて。(つづく)

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by KIKI-Brandenburg | 2008-01-27 05:16 | 自然保護区/公園

国立公園(3):DDR時代のウンテレス・オーダータール

20世紀になってから本格的に開発されたウンテレス・オーダータールですが、その後はどうなったのでしょうか?

この地域を考える上で決定的に重要なのは、第二次世界大戦後の国境の移動です。
本でも説明しているように、第二次世界大戦が終わるまでのドイツ帝国というのは、今のポーランドやロシアの一部を含む、現在のドイツより東に大きく広がった国でした。それが戦後、オーダー川が国境になる事で、川を隔てた向こう側が突如外国になってしまったんでしたね。
この話はウンテレス・オーダータールにも当てはまります。
かつてはオーダー川をはさんだ広大な湿地帯だったウンテレス・オーダータールは、戦後、ドイツ側とポーランド側では、全く違った発展をしていきます。

ドイツ側では、戦争で破壊された水門などは修復されましたが、ポーランド川ではほとんど手が加えられないまま、人が住まない地域として放置されました。ポーランド側は今でもそんな感じです。

では、ドイツ側はどんな歴史を辿ったのか。DDR時代のウンテレス・オーダータールに目を向けてみましょう。

まず重要なのは、シュヴェートの存在です。60年代に、本の第5章で登場する、あの石油化学コンビナートの街が建設されますね。この街は、工業都市として、また、この地域の中心都市として栄えていきます。

シュヴェート以外はどうだったかというと、簡単に言うと、大規模農業が盛んな穀倉地帯になります。

ここで、「え、やばくない?」と思いません?だって・・・工業都市と大規模農業ですよ。
いかにも環境に悪そうじゃないですか!

それに、環境保護の概念が一般に広がる以前の話ですからね。大気汚染・水質汚染はもちろん、農薬をガンガン使う大規模農業も、とてもではないけれど自然保護と共存できるようなものではありませんでした。
現実にどんな環境破壊があったかということは置いておくとしても、大事なのは、そういう「土地柄」です。自然と共存していくというより、自然を克服していくというか、人間の力でどんどん新しい道を切り開いていくという雰囲気が、DDR時代のこの土地にはあったはずです。

そうしたことに加え、ウンテレス・オーダータールが自然の豊かな土地として認識されなかった理由のひとつは、国境沿いが立ち入り禁止区域になっていたからです。ある意味、タブー視された地域で、一般の人が気軽に入れるような場所ではなかったんです。

DDR時代にも、それなりに自然保護区などはありました。今と違って、地域全体を保護するというより、ピンポイントで特定の場所を保護する感じです。
私が個人的に面白いと思ったのは、後に国立公園になる地域に、この自然保護区がほとんどないばかりか、ハイキングの手引きのようなものにいたっては、ウンテレス・オーダータールを完全にスルーしていたことです。

おもしろい・・・これはどういうことか?

そもそも、この地域の自然が、意味あるものとして、保護する価値のあるものとして認識されていなかったということなんじゃないでしょうか?みんなが素晴らしいと認めるものだったら、国境沿いだろうがなんだろうが、もうちょっとなんかしてもよかったでしょう。なのに、スルーですよ、スルー!

一般レベルでは全く無視されていたウンテレス・オーダータールですが、ごく一部の自然保護や動物保護の分野では、この土地の自然が価値のあるものであるという認識があったようです。
後にウンテレス・オーダータールが国立公園になる理由として重要なのは、1971年にラムサール条約(湿地の保護に関する国際条約)の保護下に入ったことです。
といっても、それもそんなに強力な拘束力のある条約ではないし、一般のレベルでは多分知られていなかったでしょうね。

という感じで、DDR時代のウンテレス・オーダータールというのは、国境沿いで、石油化学コンビナートと大規模農業の傍らで、息を潜めていたような土地でした。この地域が脚光を浴びるのは東西ドイツ統一後です。(つづく)

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by KIKI-Brandenburg | 2008-01-23 06:35 | 自然保護区/公園

国立公園(2):ウンテレス・オーダータールという土地

ブランデンブルク州唯一の国立公園とはどんなところなのか?
まずは理屈っぽくはじめてみましょう。

この国立公園の名前の由来ですが、そもそもこの公園に当たるところが「ウンテレス・オーダータール」というからです。ドイツ語ができる人なら、この地名を

ウンテレス (Unteres):下の
オーダー (Oder)」:オーダー川
タール (TalもしくはThal):谷

の3つに分解できるでしょう。となると、単純に考えてウンテレス・オーダータールというのは「下のオーダー谷」ということですね。

地名というのは、どうでもいいようで、時々「なるほど!」というような情報を導き出してくれます。本では「フォアポンメルン」の由来についてちょっと触れていますけれど、背景が分かるとなぜ「前ポンメルン」なのか、納得がいくでしょう。

私はまず、「下のオーダー谷」の「下」というのが気になりました。じゃあ、「上のオーダー谷」はどこなんだ、と。
調べた結果、そういうものはないけれど、あえて言えば、現在「オーダーブルフ (Oderbruch)」と呼ばれている、オーダータールの南、フランクフルト・オーダーの北にある干拓地が「上のオーダー谷」に当たらなくも無い、ということが分かりました。

次に気になったのは「谷」という単語。ご存知の通り、ブランデンブルク州には山もなければ、谷もありません。オーダータールは広大な湿地帯で、全然「谷」じゃないんです。しつこく調べたところ、どうやら、一般的に低地のことを谷と呼ぶ事があるようです。
そもそも、オーダーブルフのBruchというのも、湿地とか沼地という意味ですから、低地を意味するタールと繋がらなくもないです。

ということで、名前を見るだけでも、「ウンテレス・オーダータール」が「オーダー川沿いの低地の河口に近いほうの地域」くらいのことが想像つくわけですね。しつこく考えてみるもんです(^^)

そんなウンテレス・オーダータールというのは、そもそも、どんなキャラクターを持った土地なのか?国立公園になる前はどんなところだったのか?
知らない土地を知る鍵は、いつだって歴史にあります。

ブランデンブルク州が歴史的にどんな土地だったかというのは、本でも触れていますね。
超簡単に言うと「辺境地」です。
それも、ただの辺境地ではなく、もともと沼地の多い、入植や農業に適さない土地でした。
オーダー川にしても、低地をのろのろと流れているので、湿地が多く、洪水とか、一旦増水するとすぐに水が引かない場所もあるわけです。
オーダー川の河口に近いウンテレス・オーダータールというのは、農業をしようにもできない、延々と広がる湿地帯でした。

なんだ、そのまんまじゃん、と思うでしょう。でも、湿地帯のまま放って置かれたのは必然ではありませんでした。ウンテレス・オーダータールと対照的な歴史を辿ったのが、そのすぐ南にあるオーダーブルフです。a0104785_212711.jpg

地図はhttp://www.oderbruchpavillon.de/home.htm#からお借りしました。
(←ここ)この地図で黄色く囲ってあるところがオーダーブルフです。

ブランデンブルク州の歴史はベルリンと結びついている事が多いのですが、オーダーブルフという地域は、ベルリンの食料庫となるべく、大規模な干拓事業が行われたところです。
有名なのはプロイセン3代目の王、フリードリッヒ大王の干拓事業で、オーダーブルフは人が住んで、農業のできる土地へと変わっていきました。
でも、そういう取り組みというのは、そのすぐ北のウンテレス・オーダータールでは行われませんでした。ベルリンから遠いのと、湿地の規模が原因だったのでしょう。

ウンテレス・オーダータールに開発の手が本格的に伸びるのは20世紀に入ってからです。それも、農業のためではなく、水運のための開発でした。ベルリンと、オーダー川の河口にあるシュテティンの船の行き来を潤滑にするために、新しい水路がオーダー川と平行するような形で作られました。

ということは、その水路とオーダー川の間に、島のような長細い空間ができるわけですね。それが、あの長い国立公園の原型です。言ってみれば、水路を作る事によって、湿地帯を囲い込んだんです。

同じオーダー川沿いの湿地帯と言っても、オーダブルフでは干拓事業では農地ができたけれど、ウンテレス・オーダータールでは、湿地とそうでない場所をはっきりと区分する事が行われたんですね。

ではなぜ、そんな「徹底的に湿地」な役割の土地(^^;)をわざわざ残したのか?
それは、この土地を定期的に冠水させるためです。オーダー川は冬になると水かさが増えます。冬の間、本来だったら一面を水浸しにしていたであろう川の水を、この人工的に作り出した川と水路の間の土地に流すことで、洪水を防ぐのです。そのための水門がたくさんあって、そこで水の量が調整され、冬の間、この土地はまるで湖のようになります。言ってみれば、自然のダムです。


これがウンテレス・オーダータールの基礎という感じですが、つべこべ言っているだけでは面白くないので、動画や写真を見たい人は国立公園のホームページに飛んでみてください。左のカーソルの「Rundflug/Bilder」というところで、上空から見た映像と、たくさんのキレイな写真が見えます。動画の最後のほうで、一面水浸しの映像があるし、写真の一部でも、冬に木が水没しているのが分かるはずです。

ふぅ、国立公園第二話、これにて終了!まだまだ続くよー。

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by KIKI-Brandenburg | 2008-01-20 23:03 | 自然保護区/公園

国立公園(1):州で唯一の国立公園

ブログを書いていて、時々、「山ほどあるブランデンブルク州ネタをどこから片付けていこう・・・」という、マニアならではの悩みにさいなまれます(^^;)。
あんまりマニアックなことばかりガンガン書いていっても、みなさん、ついてこれないかもしれないし・・・と今まで置いておいた、大きめのネタというのがあって、その1つが

国立公園 ウンテレス・オーダータール
(Nationalpark Unteres Odertal)


この国立公園に関して、私はマジで詳しいです。だって、先学期ヨーロッパ民俗学のゼミで論文1個書いたし、調査旅行でも実際に行ったし。そうそう、あの5泊6日のチャリツアーのことですよ。

半年前に執拗にこだわって、資料集めまくって調べたこの国立公園なんですけれど、なんせ、論文ってマニア向けに書く文章なので、その内容を和訳しただけでは、みなさん、頭の中クエスチョンマークだらけになっちゃうと思うんです。
マニア的情報を、いかに「フツーの日本人」に分かるように書くか。著書でも、そこに神経を集中させたわけですけれど、これはなかなか難しいんですよ、実は。
でも、今回も、そのスタイルで、超マニアックなヨーロッパ民俗学の論文をもとに、ブランデンブルク州の誇る(?)国立公園を紹介したいと思います。

さあ、準備はいいかー!行くよーっ!!

国立公園ウンテレス・オーダータールというのは、
ブランデンブルク州で唯一の国立公園です。
ドイツには14の国立公園があって、全国に散らばっています。これはドイツが連邦制(州が政治の単位として大きな意味を持っている)を取っていることと関係していて、国立公園を作る際、まず州レベルで議論されて、それから国のレベルで承認されるというシステムをとっているからです。
「国立公園」というのは、自然保護をPRする上でいい宣伝にもなるし、州としても、できるなら持っていたいという感じ。メクレンブルク=フォアポンメルン州やバイエルン州のように、2つ国立公園を持っている州もある一方で、バーデン=ヴュルテンベルク州のように、1つもない州もあります。(この州に無いというのは個人的に意外でしたが・・・)

国立公園ウンテレス・オーダータールができたのは1995年。
やっぱり、というとヘンですが、ドイツ東西統一後の話です。
DDR時代にも、自然保護というテーマはあったにはあったんですが、今ほど重要視されてはいませんでした。というか、西側諸国でも、自然保護とか環境問題に対する関心が社会的に広まったのは結構最近のことですからね。

そもそも、この国立公園がどこにあるのかというと、ブランデンブルク州の北東の隅っこ、オーダー川沿い、つまり、ポーランド国境のところです。
本を持ってる人は132ページのウッカーマークの地図を見てください。国境沿いに細長く国立公園が延びているでしょう。この長さが約60キロ。
国立公園のまんなかあたりに、本の第5章で出てくる、石油化学コンビナートの街、シュヴェートがあります。これが実はすっごく重要な事なんですけれど、それはまた後で説明しよう(^^)。

国立公園として認知されるからには、それ相応の自然がなければいけませよね。ウンテレス・オーダータールの何が特別なのか。大雑把に言うと、

・ドイツで唯一の湿地帯の国立公園
・定期的に冠水する
・約1150種類の動植物が生息する地域

定期的に洪水が起きて、その水がまた定期的に引くという事によって、他の地域では見られないような生態圏が作られて、数多くの動植物が生息しているわけです。

なんせ湿地帯だから派手さはないけど、オンリーワンですよ。すごいじゃん。
環境保護の観点からすると、こういう地域が残っているという事自体、実は感動モノなんです。普通だったら、こんな湿地帯、とっくの昔に干拓されてるでしょう。そうじゃなかったんだな。

本の第2章で、どうして素晴らしい並木道がブランデンブルク州に残っているのか書きました。あれとちょっと似ていると思います。開発の代償として旧西ドイツの並木道は消えたけれど、いい意味で「放っておかれた」ブランデンブルク州には、並木道が残り、それが現代になって脚光を浴びている。何が幸いするか分からないですね。(つづく)

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by KIKI-Brandenburg | 2008-01-18 22:27 | 自然保護区/公園

オババんち/Schöneiche

またまた更新が遅れてしまいました(><)
最近体調悪くって・・・いや、大したことないに決まってるから、大丈夫です。

えー、今週の日曜、久しぶりに、ゾヤ君とオババ(ゾヤ君のお母さん)の家に行きました。ゾヤ君というのは、皆さん知っていると思いますが、私の彼氏です。
ちなみに、ゾヤ君というのはあだ名で、彼がゾヤミルヒ(Sojamilch:豆乳)が好きだからです。同じメソッドで、ゾヤ君のフランクフルト・オーダーにいる友達は「ブルーメンコール(カリフラワー)」、彼の妻にいたってはキノコの一種のトイプリングというあだ名を勝手につけられてしまったわけですね。(ブルーメンコール君とトイプリングちゃんの命がけグルメの話はここ

私にとって、オババというのは事実上の姑なんですが、そんなに頻繁に会っているわけでもないし、「嫁姑の確執」というようなおどろおどろしいものはありません。

オババが住んでいる街、言い換えればゾヤ君の実家は、ベルリンの郊外にある

Schöneiche(シェーンアイヒェ)

本でも取り上げたCゾーンの街です。せっかくだからホームページも載せておこう(^^)
a0104785_3505485.jpg

そうそう、このちっちゃい路面電車でゴロゴロ行くんですよ~♪
自分で言うのもなんですが、この路面電車も、ゾヤ君とシェーンアイヒェに行く事がなければ、今でも知らないままだったかもしれません。そのくらいこっそりとあるんです、この路面電車。

ブランデンブルク州をいろいろ旅してきた私ですが、局地的に異様に詳しいのが、シェーンアイヒェ周辺です。
ブランデンブルク州のことを知る際の足がかりになったのも、シェーンアイヒェが属している、ベルリンの東にある地域でした。DDR時代の大きな地区分けだと、フランクフルト地区ですね。
現在、シェーンアイヒェはオーダー・シュプレー郡 (Landkreis Oder-Spree) に属しています。よし、このホームページも載っけちゃおう(^^)
ブランデンブルク州の郡の多くはベルリンから放射状に伸びていて、このオーダー・シュプレー郡というのも、そうした一つです。ベルリンの隣にあるシェーンアイヒェから始まって、南東の方向に伸びて、アイゼンヒュッテンシュタットまでをカバーしています。

名前の通り、オーダー川とシュプレー川がある地域で、車のナンバープレートの省略記号はLOS (Landkreis Oder-Spree)。
ええ、かなりマニアックな情報ですが、ベルリン在住の皆さん、ブランデンブルク州マニアになる第一歩は、車のナンバープレートを見て、「あ、ブランデンブルク州の車だ!」と識別できることですよ(←ウソウソ)。15の郡と3つの独立都市の省略記号の車をベルリンで見かけて、あっ☆と思うようになったら、それはブランデンブルク州萌え(?)です。

それで、シェーンアイヒェなんですが、ベルリンの郊外として、人口は増え続けています。特に多いのは家族連れで、本にも書きましたが、庭付き一戸建ての家が多い、静かな住宅地という感じです。
シェーンアイヒェとベルリンの関係というのは微妙なところがあって、「ベルリンと一緒にしないでくれ」という一方で、電話の市外局番はベルリンと同じ030だったりします。なにより、ベルリンに通う人は多いでしょうし、「どこのご出身ですか」と聞かれたら「ベルリンです」と言う人が多いんじゃないかな(笑)。

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by KIKI-Brandenburg | 2008-01-16 05:33 | Cゾーン

トロピカルアイランズ (Tropical Islands)

金沢ネタが本当はもう1個あったのですが、本人に兼六園とお城と町並みについて書く気力がないので(^^;)そろそろブランデンブルク州に話を戻そうと思います。といっても、今日は、半分は日本の話です。

先日、飛行機でベルリンに帰ってくるとき(厳密には名古屋→パリ)、機内で「フラガール」という映画を見ました。かなりヒットした作品だから、知っている人も多いでしょう。炭鉱好きの私としては、機会があったら見てみたいなと思っていた映画だったので、偶然にも機内で見られてラッキーでした。

映画「フラガール」の舞台は60年代の福島県。現在のいわき市にあった、常磐炭鉱を舞台にした話です。街を支えてきた炭鉱が閉山されていく一方で、炭鉱から出る温水を利用した一大リゾート施設を作る構想が持ち上がります。その「ハワイアンセンター」の目玉であるフラダンスをするのは、炭鉱労働者の娘たち。東京から来たフラダンサーのもと、若い女性たちが、家族のため、町のため、将来のために努力し、その姿が次第に懐疑的だった地元の人たちにも受け入れられ・・・という、結構感動する話です。

この「ハワイアンセンター」で思い出したのが、ブランデンブルク州にある

トロピカルアイランズ(Tropical Islands)です。

a0104785_17945.jpgブランデンブルク州南部の炭鉱地域より、もうちょっと北、ベルリンから60kmくらい南にいったところにある、巨大なドームの中に南国を再現した施設です。ここをクリックするとホームページに飛びます。

この施設の場合、炭鉱とは関係ないんですけれど、なぜトロピカルになってしまったのかという話はおもしろいです。

そもそもこのドームは、東西統一後に作られたもので、飛行船を扱う場所でした。ドームの大きさはなんと360 x 210 x 107 m (長さ x 幅 x 高さ)。中には縦の柱がなく、がらんどうのドームとしては世界一の大きさで、横にすればエッフェル塔も入るそうです。

このドームをつくるのに、ブランデンブルク州も多額の援助をしたわけですが、2002年にこのドームを作った会社が倒産してしまいました。
倒産してしまったなんて、簡単に言うけど、大変なことですよ。だって、州は莫大な援助をしたのに、残ったのは巨大なカラッポのドームなんですから。
なにしろ、大きさが大きさだけあって、再利用する方法が見つかりません。そこで出てきたのが、

トロピカルな娯楽施設にしてしまおう!

という、斬新というか、まぁ、結構飛んだアイデアです。
それを言い出したのがマレーシアの会社で、多分、ブランデンブルク州も住民のみなさんも「えぇ~・・・」と思いはしたんでしょうけれど(笑)、背に腹は変えられない、なんとかしなきゃ、ということで、飛行船のドームはトロピカルになっていくわけです。

2004年にこのトロピカルアイランドはオープンしたんですけれど、お決まりのごとく、いろんな問題が持ち上がるんですね。

まず、巨大なドーム全体をトロピカルな温度にするというのは、莫大な光熱費がかかるわけで、その値段もさることながら、環境に悪いという批判は相次ぎました。そもそも、トロピカルな気候を保つために作られたドームではないから、採光や断熱の仕組みが不十分だったんです。

そして、これは「フラガール」の後半でも出てきた話題ですけれど、気温が低すぎて、熱帯の植物が枯れてしまうというハプニングも起きました。「ハワイアンセンター」と違って、トロピカルアイランドは温泉ではないので、とにかくガンガン暖めないといけない。

問題は気温だけでなく、にもありました。そもそも北ドイツの日差しは、南国とは比べ物にならないほど弱いし、屋根で覆われているドームでは、外の光を取るのにも限界がありました。光が不十分では熱帯の植物は死んでしまうし、トロピカルなムードもイマイチ、これはヤバイと、屋根の修理も行われました。

そんなこんなで、かなり無理のある娯楽施設なんですが、ほどほどに人は入っているようです。私は行ったことないですけどね。

a0104785_1161893.jpgもし、電車でベルリン⇔リュッベナウ(シュプレーヴァルト)を移動する機会があったら、車窓からも見えるので、冷やかしてやりましょう(笑)。ベルリンから南にいく場合は進行方向の左側、ブラント(Brand)という駅の近くで、でっかい銀色のドームが見えるはずです。

P.S.今回の写真は、トロピカルアイランズのホームページのプレスフォトからお借りしました。

P.S.
ベルリンからトロピカルアイランズに行ってらっしゃった方が詳細なレポートをしてくださっています。興味のある方はここから飛んでみてください。

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by KIKI-Brandenburg | 2008-01-10 01:06 | 保養地

金沢(5):能登半島(3)/ざっぱぁ~ん??

私はベルリンに帰ってきましたが、日本の話・金沢編はしつこく続きます。

輪島の朝市で予想外の出費をしたあとは、途中でお昼ご飯や休憩をしながら日本海側をバスで走り、金沢へ帰ります。
そもそも、冬の日本海が見たかった私としては、この帰り道こそが旅行のメインです。
能登半島の西側は日本海、東側は富山湾に面していて、私が期待した、荒れ狂う冬の海\(^0^)/というのは、日本海側のイメージのようです。

ガイドのテープでも繰り返されたんですけれど、日本海側の海というのは男性的、富山湾側は女性的なんだとか。・・・何をもって男性的というのか、説明して欲しいとことですね(ジェンダー屋はこうやってケンカを売るんですよ)。
ということで、その男性的な海を見てみようじゃないですか。

a0104785_22554667.jpg

能登半島の真ん中へんの海には面白い形をした岩があります。

a0104785_22592379.jpg

こっちには洞窟があります。水が透き通っていてきれい☆

a0104785_22595758.jpg

景勝地として知られる巌門にはこんな岩もありました。こういう穴は侵食によってできるそうで、まさに自然の作り出した芸術です。

a0104785_2303467.jpg

上の写真を取ったところからはこんな光景も見えました。んー、逆光で見にくいけれど、黒っぽいゴツゴツした岩がいたるところにあります。そんな岩の上に、器用に(?)松が生えているのが、なんだか不思議でした。

というのが、私が見た日本海だったんですけれど・・・

全然ざっぱぁ~んじゃないじゃん(怒)!!

ざっぱぁ~んっていうより、ぱしゃぱしゃ。
風なんか全然なくて、ピカピカのお天気。
ぽかぽかのお日様を反射する海は透き通っていて、とっても穏やか。

・・・ある意味、男性的かもしれない。うん、ある意味男性的だ。っていうか、

私、こういう男性、好きだ(*^-^*)

「冬の日本海のような男が好きです」なんて言ったら、絶対誤解されるだろうけれど(笑)、私が見た日本海は、すっごく穏やかでステキでした!!
いやはや・・・あの、鬱々とした空の下で、ざっぱぁ~んと打ち寄せる波というのは、よほど天気が悪くて、海がしけている時にしか見えないもので、天気がよければ、冬でもフツーに穏やかなものなのかもしれないですね。

輪島から帰ってくる時には、バスの運転手さんが能登半島で起きた地震の話をしてくれました。実は、ドイツにいたこともあって、私はこの地震のことは、金沢に行く直前まで知らなかったんです。
地震があったと言っても、9ヶ月も前の話。余震の心配なんかないし、観光するのに不便はないだろう。それに、もし観光地として打撃を受けたのだとしたら、観光客として行くのが「復興支援」になるじゃないか!ということで今回能登半島に来ました。
実際、地震で被害を受けた地域もバスで通りがかったのですが、道路が片側通行になっていたり、言われてみると確かに壊れた家があった程度で、地震の爪あとというほどの惨状は目につきませんでした。でも、まだ仮設住宅もあるし、完全な復興には時間がかかるそうです。

そんな中で、輪島の市役所(かな?)には地震の日付に加え「がんばる輪島」と書いてある大きな広告が掲げられ、工事現場では「がんばっています、能登半島」という看板が立っていました。そうか、がんばっているんだ。うん、がんばるって尊いことだ。

がんばれ、能登半島!


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by KIKI-Brandenburg | 2008-01-07 00:16 | 日本の話