ブランデンブルク州、旧東ドイツ、ベルリンを楽しもう
by KIKI-Brandenburg
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   ★KIKIの自己紹介★
岐阜県生まれ、岐阜県育ち。
立教大学文学部ドイツ文学科卒業。同大学在籍中、交換留学生としてベルリン・フンボルト大学へ留学。
立教大学卒業後、フンボルト大学に正規学生として入学し、ヨーロッパ民俗学とジェンダー学を専攻。
2007年9月下旬に著書「がんばれ、ブランデンブルク州!」を出版。アマゾンなどネットの本屋さんでも買えます。「がんばれ、ブランデンブルク州!」で検索してください。ベルリンではDDR博物館でも売っています。興味のある方は私に直接問い合わせてくださっても結構です。

2008年8月の終わりに娘が産まれました!育児ネタもちょくちょくあります。

ドイツ語のプライベートレッスンをしています。興味のある人はここか、直接こっち(別ブログ)に飛んでください。

      ★お願い★
このブログ内の文章や写真に興味を持って引用/転載してくださる場合は、出典として明記してください。ネットの場合はリンクを張ったりトラックバック機能を使ってください。そして、そんな名誉なことがあれば、KIKIはぜひ知りたいので、ご連絡ください。

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ニセドイツ

数日ぶりに机に向かっています。ちょっと元気になったと思ったら、週末からまた風邪。しつこい鼻水プラス今度は頭痛。ぐあんぐあん痛い。ビタミン剤とハーブティーとホメオパシーの薬を飲んでみたりしていますが、どれもホントに効いてんだか?な感じ(--;)。でもなにもしないよりは精神的によさそうなので、しばらくこのカクテルで様子を見てみます。娘はなぜか元気です。多分もう全部やっちゃったから免疫ができているんでしょう。それがありがたいです。

さて、なんだかんだやっていてすっかり紹介が遅れてしまった本をここでとりあげたいと思います。知り合いの伸井太一さんが書かれた「ニセドイツ≒東ドイツ製生活用品」という本です。今のところ1と2があって、3も出る予定だとか。

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DDR製品をおもしろおかしく紹介した本で、ご本人から頂いてパラパラ見た最初の感想は「すごーい!」。何がスゴイって、よくここまで調べたな、ということと、こんな本が日本で出版されるだなんて、ということ。

まず、「よくここまで調べたな」という点。
これは、伸井さんの本職が歴史研究家だからできたことかもしれません。私は民俗学をやっていて、歴史学方面の資料も読むことが多いんですけれど、歴史学のプロというのは尋常ではない情報収集力をもっているものなんですね。「どこでこんなん調べたんだろう?」というような情報をホイホイ出してくる。その集中力というか、執着というか、細かさというか、そういうものは、歴史学ならではです。だから、この本を見ても、伸井さんの歴史家魂を感じされられます。
私はDDRに関して、それなりに詳しいはずなんですけれど、この本を読んで「へー」の連発でした。イデオロギーとか社会体制としてのDDRを知っていても、どんな歯磨きがあったかとか、家電の種類とかそこまでは知りませんでした。

そして、「こんな本が日本で出版されるだなんて」という点。
ここまでマニアックな本、私以外に誰が読むんだろうと思いきや、結構ウケているようです(笑)。DDRマニアでなくても、パラパラ見て「へへ」っと笑えるのがいいんでしょうね。なにしろDDR製品というのは怪しさも妖しさもバッチリ兼ね備えている。
もちろん、DDRだから変というより、時代という要素も大きくて、今の感覚するとなんとも滑稽でかわいい、ということはあるのだけれども、「ダサかわいい」とか「ダメかわいい」に萌えてしまう人にとっては、DDR製品はDDRと関係なくステキに違いない。DDRの人はマジメにそういうのを作って使っていたから、「かわいい」なんて言うと失礼なんですけれど、なんともいえない「ダメさ」に私などは胸がきゅんとするわけです(^^)。

多少気になるのはタイトルですね。ニセドイツのニセは「贋」ではなく「似せ」、もしくは西(ニシ)をもじったものだというのを伸井さんは最後に書いていらっしゃるんですけれど、これは正直、かなり分かりにくい説明です。タイトルとしてキャッチーなのはすごく良いし、字体が画素の大きいデジタル風で書かれている時点でマジメに「贋」とか「似せ」とか言っているのではなく、「ニ・セ・ド・イ・ツ」と、それこそDDRのポンコツコンピューターがジジジジっと打ち出したような雰囲気があっていいんですけど。

あと、みっちりちりばめられた駄洒落ですが、なんだか年号暗記の語呂合わせみたいで、やっぱり伸井さんの歴史家としてのバックラウンドを感じてしまいます(笑)。
彼の名誉のため(か?)に言っておくと、彼自身はステキなお兄さんです。この駄洒落をみていると想像しづらいかもしれませんけれど、私よりちょっと年が上の人。彼のような若い研究者がDDRに興味を持って、そして愛着を持って本を書いたというのはいいことだと思います。彼の専門分野はDDRではないというのは驚きですが、DDRと直接かかわりの無かった私達の世代が、ある種の距離を置いてDDRを見る、調べる、思いを馳せる、というのは大事な事だと思います。

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by KIKI-Brandenburg | 2010-02-16 19:33 | DDRを知ろう

DDRのままの部屋、発見される

そろそろ寝ようと思ってたんですが、DDR関係で面白い記事を見つけたので更新します。
元ネタはCNNの日本語版。(ここ
後々検索できなくなっちゃうともったいないので全文引用します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

旧東ドイツ時代のアパート1室、そのまま発見 たばこや食料も

(CNN) 旧東ドイツ領内だったライプツィヒで、ベルリンの壁が崩れる前の時代そのままに、アパート1室が手つかずの状態で残っているのを、建築家のマルク・アレツさんが発見した。独の各メディアが29日に伝えた。屋内には、当時のたばこや食料品が、そっくりそのまま残っていたという。

寝室が1つの部屋に入ると、壁に掛かったカレンダーは1988年8月のまま。台所の食器棚や引き出しには、プラスティック製の食器やアルミのカトラリーが入っていたほか、旧東ドイツ時代のコーラ「ヴィータビータ」やマーガリン「マレーラ」、たばこ「ユーヴェル」、ウオツカ「クリスタル」の瓶などが残されていた。

アレツさんによると、改築を検討するデベロッパーはこの部屋の居住者について、当局と何らかのトラブルがあった24歳男性と説明しているという。この居住者に関する最新の書類は、1989年5月に発行された捜査令状だった。居住者が書いて切手もはってあるハガキが残されていたが、投函されないまま部屋に残っていた。

アレツさんは、日刊紙フランクフルター・アルゲマイネに「ドアを開けたとき、まるでツタンカーメン王の墓を見つけたハワード・カーターのような感じだった。ひどく雑然としていたが、歴史的な発見のようで、過ぎ去った時代への入り口に立っているようだった」と話している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

へー。これはかなりの発見ですね。というか、マニアにとっては宝の山でしょう。
ちなみに、この記事の元になってる日刊紙フランクフルター・アルゲマイネにはもっと詳しいことや写真も載ってるので、興味のある人はどうぞ(ここ)。あ、ついでにそこの写真も載せておきますね。
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このニュースを読んで、児童文学の「二人のイーダ」という話を思い出しました。時間が止まったような部屋の中で椅子がずっと「イーダちゃん」の帰りを待っているんです。ちょっとシュールな、でも実は広島の原爆が絡んでる話。この部屋にも、帰らない主人をずっと待ってた物がいっぱい詰まってるんでしょうね。

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by KIKI-Brandenburg | 2009-01-31 09:07 | DDRを知ろう

KONSUM

前回ブランデンブルク市のローランド(&ヘンなおじさん)を取り上げたので、ついでにもう1つ、私がブランデンブルク市に行った時に発見したものをご紹介しましょう。

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なかなかいい感じの廃屋です。
両サイドの建物とのコントラストもいい感じ。手前の建物はピカピカに修理されていて、向こうの建物はちょっと手が加えられているけれど廃屋と化しています。そして、すすけた感じの建物に、真新しいグラフィティーというのも面白いですねぇ。と、言う前にー・・・

あぁ!

KONSUMって書いてある!

これはDDR時代の遺物です。

説明しよう!KONSUMとは・・・
DDR時代、どこにでもあった小さなスーパーみたいなものです。DDR以前にもあったらしいけれど、DDRの時代にチェーン店みたいに広がっていた(っていうと変だな)正式名称はKonsumgenossenschaftという日用品を扱う小売店です。ちなみに、Konsumは「消費」という意味でも普通に使われる単語だけれど、その場合は「コンズーム」とUにアクセントが来ます。DDRのスーパーの場合はそれとは違ってOにアクセントがきて、「コンズム」と言います。
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反対側から見るとこんな感じ。
隣の建物の上のところに、Konsum Möbelって書いてあるのが気になりますね。普通、Konsumは食品などを扱っていた店。ひょっとしてこのKonsumは例外的に家具も扱っていたのかな?それにしても、ピカピカな建物に書かれたKonsum、多分この建物を塗りなおすときに一緒に塗りなおされたんでしょうね、それと、古い建物の方に書かれたKonsumの字(右の方はUがなくなってるし)のギャップがスゴイです。
ついでに、もう1つ気になるのは、この建物のところにかかってる広告。「Wohnungen zu vermieten (家貸します)」って、この建物、住めるのかな?!

旧東ドイツの街をキョロキョロして歩いていると、こんな発見もあっておもしろいです。

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by KIKI-Brandenburg | 2008-12-19 06:39 | 廃墟/廃屋

東ドイツの新語

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先日、大学の図書館で面白い本を発見しました。

「東ドイツの新語」 根本道也著 同学社 (1981)

その名の通り、DDR特有の語彙を集めて解説した本です。

まず、表紙の写真がクラシックで私は萌えました(笑)。FDJの青い服を着たおねえさん(老けて見えるのは気のせいだろう^^;)と、Jung Pionierの子供たちが楽しそうに語らっています。
「新語って、これ、いつの本?」と思ってみてみると、1981年の発行。・・・すごい、私が1才の赤ちゃんだった頃の本。
パラパラめくって見ると、ただの辞書というより、解説書という感じで、ずーっと読んでいってもなかなかためになる。それに、「はじめに」とかDDRの歴史や背景を説明した部分を読んでいて、「あぁ、この人はDDRが好きなんだな、この国のことをもっとみんなに知ってほしくてこの本を書いたんだろうな」と思えてきて、私は非常に好感を持ちました。

せっかくだから、この本から、ちょこっと引用してみます。

まず、この表紙のおねえさんが着ている青い服、これはFDJの制服です。ちなみにこれ、私持ってますよ、前にオババからもらったんです。(「おばばんちのパズル」参照)

FDJ(Freie Deutsche Jugend)とは・・・
「自由ドイツ青年同盟」。公認された唯一の青年組織として、大衆組織の中で重要な位置を占める。加入は14歳以上。自由意志による。1946年3月に、反ファシズム民主青年大衆組織として設立された。活動面ではドイツ社会主義統一党(SED)の指導を受け、同党の戦力予備軍である青少年たちの共産主義教育を担当する。社会的諸活動を行う他、大学においては企画や運営にも参加する。人民議会(VK)には40人の議員団を送っている。FDJはまた、1948年以来民主青年世界連盟に、1950年以来国際学生連盟に加盟している。シンボルはFDJのマークのついた青い旗。日刊紙”Junge Welt"(「若い世界」)、月刊誌”Junge Generation"(「若い世代」)をもつ。

そして、Junger PionierまたはJunge Pioniere(複数形)(略JP)とは・・・
少年ピオニール団員。上記のPionierorganisation の団員を総称してこう呼ぶが、さらに下級生と上級生を次のように呼び分けている。
第1~4学年(7~10歳)の団員:Jungpionier「幼年ピオニール」
第5~7学年(11~13歳)の団員:Thälmann Pionier「テールマン・ピオニール」
呼び方がたがいにまぎらわしいので注意を要する。現在の団員は約200万人、すなわち同世代の99パーセントに及んでいる。


Pionierorganisationの説明はちょっと長いのでカット。
ピオニール(発音としては「ピオニーア」の方が近いような気がするけど)の挨拶というのはおもしろくて、「Seid bereit!(備えよ!)」と言われたら声を合わせて「Immer bereit!(常に備えあり!)」と答えるのです。これ、私大好き(^^)。

この本でいいなと思うのは、ガチガチの用語説明だけではなく、筆者の観察した実際の様子が反映されていること。たとえば、このピオニールの挨拶のところでも、

「もちろん、日常生活の中でいつもこんな挨拶をしているわけではない

とか、FDJの挨拶のとこでは

「団員どうしが公的な場で交わす挨拶の文句は”Freundschaft"(友情)である。(しかし、私生活ではざっくばらんに「エイ」などと声をかけ合っている。)

フィールドワークが生きているなぁという感じです。

驚いた事に、この本、まだ絶版にはなっていないみたいです。出版社のホームページはここ。興味のあるかたはどうぞ。

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by KIKI-Brandenburg | 2008-07-17 19:50 | DDRを知ろう

壁があるほうがいい?

ネットで新聞を読んでいて面白い記事を見つけました。タイトルは

「頭の中の壁―世論調査:ブランデンブルク州とベルリンの9人に1人は壁を望んでいる」

ここで壁というのはもちろんベルリンの壁のことです。短い記事なので、全文載せます。

Mauer in den Köpfen
Umfrage: Jeder Neunte in Brandenburg und Berlin will die Mauer wieder


Berlin - Nach einer von der Freien Universität (FU) beauftragten Umfrage unter 2000 Berlinern und Brandenburgern will noch immer jeder Neunte die Mauer wiederhaben. Der Aussage "Es wäre besser, wenn die Mauer noch stünde" stimmten in Westberlin elf Prozent und in Ostberlin zwölf Prozent der Befragten zu, berichtete FU-Politologe Oskar Niedermayer heute in Berlin. Im Brandenburger Speckgürtel antworteten neun Prozent der Interviewten mit Zustimmung. An den äußeren Rändern Brandenburgs waren sogar 14 Prozent der Befragten der Meinung, mit der Mauer ließe es sich besser leben. Die FORSA-Umfrage wurde Ende März und Anfang April durchgeführt. dpa
(Märkische Allgemeine より)

<概訳>
ベルリン自由大学がベルリンとブランデンブルク州の2000人を対象に行った世論調査によると、9人に1人がベルリンの壁があったほうがいいと思っている。
西ベルリンでは11%、東ベルリンでは12%、ベルリン郊外のブランデンブルク州では9%、ブランデンブルク州の隅っこの地域では14%の人が「ベルリンの壁があったほうがいい」と答えた。

ふむ・・・。9人に1人というのは多いのか、少ないのか?
私は正直言って驚かなかったんですけれど、多いといえば多いかな。
まぁ、「ベルリンとブランデンブルク州の人」と言っても、どんな背景の人なのかっていうのがポイントですしね。誰が「ブランデンブルク州人」なのか、「ブランデンブルク州人」は「元DDR国民」なのか?というのがなかなか難しい質問であるというのは本でも述べている通りです。

ベルリンの壁というのは単純にあのコンクリートの塊ではなく、DDRという国やDDR時代の社会システムのことを指しているわけで、「元DDR国民」に限っていえば、「DDRの頃のような生活を再びしたい」と思っていると考えていいでしょう。
このブログでも何度か触れているのですが、DDRって確かにきな臭いところはあったけれど、それなりにいいところもあったわけです。失業の心配もなかったし(「計画経済と労働の権利」)、豊かとはいえないとしても安定した生活が保証されていたというのは、今から考えるとスゴイことです。特に、壁崩壊後にガタガタっと生活の基盤を崩されてしまった「元DDR国民」にとっては、「あのころ」を取り戻したいという思いはあってもおかしくないと思うんですね。

DDRの末期の経済・社会状況を考えると、ベルリンの壁が21世紀の現在まで存在するっていうのはありえない話ですけれど、東西ドイツ統一といいつつ完全な「吸収合併」をされて、ここまでボコボコにされるとは、「元DDR国民」のみなさん、思ってなかっただろうしなぁ(^^;)。9人に1人くらい、ヤケッパチになってもおかしくないんじゃないでしょうかね。

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by KIKI-Brandenburg | 2008-07-11 07:30 | 現代旧東ドイツを知ろう

DDR博物館

このブログを見てくださってる皆さんの中には、DDRについて詳しい人や、DDRに行ったことのある人、ひょっとしたら住んでいたなんていう人もいるかもしれませんね。
でも私みたいに、「現在進行形」でDDRを経験していない人にとって、DDRって、もうなくなちゃったヘンな国、くらいにしか思えなくても、普通だと思うんです。私はかつてそう思ってたし、DDRを身近に感じるようになったのはベルリンに来てからだし。

DDRって政治的なテーマなので、偏見や誤解というのも結構ありそうだけれど、それはあくまでも客観的に、マクロな視点で見た場合が多いんじゃないかな。
DDRを知る(楽しんじゃう?)には、やっぱり、ミクロの視点で見ていくのが一番です。人々の暮らしに目を向けると、独裁国家だの、秘密警察だの、そういうの以外の面が見えてくる。そうすると、DDRって怖くないです。あれ、案外普通じゃん!とか、ちょっと日本っぽいかも?なんて思えることすらある。

ということで、前置きが長くなりましたが、そういう、日常生活の場としてのDDRにスポットを当てた博物館がベルリンにあります。
DDR博物館(DDR Museum: リンクはここ)は、規模は小さいものの、ベルリンの中心地にあるので、観光の合間に行ってみるのに便利です。

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博物館はシュプレー川をはさんだ、大聖堂の向かい側にあります。
ウンター・デン・リンデンからちょっと階段を下りたところなので、知らないと通り過ぎてしまうかも。

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入り口はこんなふうになっていて、中に入ると、DDRやベルリン関係の本やグッズが置いてあります。(そこにおいてあるものを買うだけなら入場料を払わなくてもOK)。

ち・な・み・に!
そこに私の本、「がんばれ、ブランデンブルク州!」も置いてあるので、気が向いた人はどうぞ。あ、もし、本の裏表紙が表を向いてたら直してください(笑)。どうも、日本の本は右から始まるというのを理解できない人がいるようで、昨日行ったら、裏表紙が表向いてました(^^;)

そしてもう1つ、ち・な・み・に!
私はこの博物館で日本語ガイドやってます。もし、日本人の団体客が来る場合は、私がガイドすることになってるので(私以外にもいるのかな・・・知りません)よろしく。


この博物館、大聖堂の向かいにあると書きましたが、個人的に、大聖堂よりもっと面白いものがウンター・デン・リンデンをはさんだななめ向かいにあります。DDR博物館の前から、こんなふうにみえるのは・・・
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共和国宮殿!

ただいま取り壊し中の、DDRのシンボルです。
この建物の取り壊しに関しては、友達のまさとさん(ブログ「ベルリン中央駅」)が詳しく追っているので、そちらをどうぞ。

共和国宮殿の目と鼻の先にDDR博物館があるという事が、すごく皮肉だと思います。
DDR博物館は私立の博物館で、スケールも内容も軽くて、観光客でにぎわっているんですが、その前で、「元祖DDR」な共和国宮殿が無残にも廃墟となり、瓦礫の山になっていくというのはねぇ・・・。なぜ、共和国宮殿をDDR博物館にできなかったのか。いや、しなかったのか。
共和国宮殿の取り壊しというのは、政治的な背景があるので、そう簡単に答えは出せないのですが、私は、共和国宮殿の取り壊しというのは、後世、「なんてことしたんだ!!」って言われても不思議ではないことだと思います。
残して欲しかったなぁ、うぅ(T-T)。

ということで、次回は(気が変わらなければ)、この共和国宮殿について。

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by KIKI-Brandenburg | 2008-04-01 22:43 | DDRを知ろう

Guten Morgen, du Schöne

DDR時代の女性の日常生活について知るのにいい本に、
Guten morgen, du Schöne というのがあります。
著者はMaxie Wander (1933-1977) という女性で、旧東ベルリンで1977年に出版されたこの本は、20人ほどの、年齢も境遇もさまざまな、東ドイツで生きる女性のインタビューからなっています。

今学期、DDR関係のゼミでも参考資料になっていた本で、実はまだちゃんと読んでないんですけど(←え~)、この本、まずタイトルがおもしろいでしょう。
Guten morgen, du Schöne、直訳すると、「おはよう(ございます)、美しい人よ」。え?なんでかな?と思ってこの本を開けると、目次の前に、このタイトルの元になっていると思われる詩があります↓

Guten Morgen, du Schöne!
Für einen Blick von dir
sind tausend Dinar wenig.
Für deine Brust
werde ich zehn Jahre zu Fuß gehen.
Für deine Lippen
werde ich die Sprache vergessen.
Für deine Schenkel
gebe ich mich zum Sklaven.
Guten Morgen, du Schöne!
Steig auf den Apfelschimmel und reite Galopp.
Ich warte auf dich im Wald.
Mit einem Zelt ungeborener Kinder.
Mit Nachtigallen und einer Hyazinthe.
Mit einem Bett aus meinem Leib,
mit einem Kissen aus meiner Schulter.
Guten Morgen, du Schöne!

Kommst du nicht,
ziehe ich das Messer aus dem Brot,
wische die Krumen vom Messer
und treffe dich mitten ins Herz.


勝手に訳すとこんな感じ↓

おはよう、美しい人よ。
君のまなざしのためなら1000ディナール(:お金の単位)も少ない。
君の胸のために僕は10年歩いたっていい。
君の唇に僕は言葉を失う。
君の太もものためなら僕は奴隷になろう。
おはよう、美しい人よ。
白い馬にのって、ギャロップをしよう。
僕は森で待ってるよ。
テントの中で生まれる前の子供たち。
ナイチンゲールとヒヤシンス。
僕の体をベッドにして、僕の肩を枕にして。
おはよう、美しい人よ。

でも、来てくれないのなら、
パンからナイフを取り出して、
パンくずをぬぐって、
君の心臓を一突きにしてやる。



・・・強烈だ。


最後の一行、こっちもグサッと突かれる感じ。
もともと、ジプシーの詩らしいけど、詳しいことは書いてありません。なぜこの詩とこの本がリンクするのかも説明されていません。
いろんな解釈ができるでしょうね。まぁ、みなさんの想像力にお任せしましょう。

個人的に非常に気に入ったというか、ツボにはまってしまった詩でした(^^;)

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by KIKI-Brandenburg | 2008-02-25 22:19 | DDRを知ろう

DDRの出発点

さて、昨日の計画経済と労働の権利の話のつづきです。

まったりした(?)経済システムをとったDDRですが、それは社会主義のイデオロギーを反映しただけでなく、第二次世界大戦後の社会状況も関係しています。
DDRの雰囲気とか、メンタリティーを知るヒントのひとつは、この国の出発点を知ることです。第二次世界大戦が終わったころ、後にDDRになる土地はどんなところだったのか?どんなふうにできあがった国だったのか?誰がどんな思いで作り上げた国なのか?
そのへんを見てみましょう。

まず、後にDDRになる地域というのは、戦争でボロボロになった土地です。
大戦末期のドイツ軍とソ連軍の戦いのメインは後にDDRになる土地で行われました。アメリカやイギリスは後の西ドイツに攻めてきたんですけれど、そんなにひどい戦いや破壊活動はありませんでした。後のDDRは後の西ドイツの倍くらいの被害を受けたんです。当然のことながら、復興するのも大変でした。

そして、復興する際の問題は、重工業の欠如。
鉄とか石炭とか機械とか、社会と経済を立て直すのに決定的に必要だったのがDDRのエリアにはあんまりなかったんです。ドイツ帝国の重工業というのは、後の西ドイツ(「ルール工業地帯」って社会科で習ったでしょ!)が担っていました。でも、西と東に分かれてしまったからには、ルール地方に頼るわけにはいかない。復興するには、まず重工業のベースをつくるところから始めなければいけなかったんです。
この辺がわかると、第5章のアイゼンヒュッテンシュタットとか、シュヴェートがどんな背景で作られたか、人々がどんな気持ちで街を築いていったのか、というのが分かると思います。

そもそも西ドイツほど工業化されていなかったDDRですが、戦争中に企業が西ドイツ側に移転してしまうということもありました。いずれソ連軍が攻めてきてめちゃめちゃにされることが予想されていたので、前もって西に逃げる会社があったみたいです。

この時点ですでにトホホ・・・ですが、DDRはソ連に戦後補償をしなければいけませんでした。西ドイツはソ連に対する補償はほとんどしていません。
戦後、ソ連もかなりボロボロだったんです。戦死者もさることながら、戦争で経済が疲弊していました。対するアメリカはというと、むしろ戦争で景気がよくなっていました。西ドイツは戦後いろんな経済復興支援をしてもらいましたが、DDRはそんなのなし。それどころか「親分」に貢がなければいけませんでした。

とどめは、若い男性の国外流出。ただでさえ戦争で若い人がいなくなったというのに、さらに西ドイツに逃げていく人が続出したんです。「DDR難民」と呼ばれる人の半分以上は25歳以下の男性でした。だからベルリンの壁をつくったり、国境を封鎖したりという荒っぽい手段をとったわけです。それが方法として良かったなんて、全然思いませんけれど(←移動の自由がないとか、逃げる人を撃ち殺していたとか、どう考えたっておかしいでしょう・・・)、そうでもしなければ国が成り立たなくなる可能性があったんですね。
若い人、特に若い男性が出て行ってしまうというのは、技術流出であり、労働力流出でもあったわけで、「行きたいなら勝手に行けよ」なんて余裕はなかったんです。
若い男性が少ないということは、どういうことか。
それ以外、つまり、女性と子供と老人(「若くない男性」も^^;)が多いってことですよね。あとは、逃げようにも逃げられないような状況にいる人。ちょっと語弊があるけれど、大雑把に言うと「社会的弱者」が多いということ。そういう人たちが国を担っていかなければいけなかったし、そういう人たちが幸せに暮らしていける国にする必要があった。

残された人が残された材料で作り上げた国、それがDDRでした。

血気盛んな若者は死んだか、逃げたか(笑)なんて状況で、「食うか食われるか」みたいな社会ができるほうがおかしい。「もう戦争は十分、私たちは誰もが平等に安泰に暮らせる社会をつくるんだ」そういう雰囲気があったんでしょう。

社会主義って、現代の視点でみるとあんまり魅力的じゃないし、少なくとも私は「資本主義をぶっ潰して社会主義の国を作ろう」なんて全然思ってませんけれど、それは資本主義の国で生まれ育ってきて、21世紀に生きているから思うことかもしれない。

本の第3章でも書きましたけれど、「元DDR国民」、とくに古い世代の人々を理解するヒントは、個人レベルまで顕微鏡の倍率を上げることです。その人の気持ちになってみる。あえて主観的な視点でものを見てみると「あー、なんとなくわかるかも・・・」ってなるんです。
戦争を生き延びて、DDRで40年暮らしてきて、「DDRのほうがよかった」なんて言うお年よりを「頭カチンコの社会主義者」だと思ってると、そうとしか思えない。DDRの何がそんなに良かったのか分からないし、あんな独裁国家の片棒を担ぐなんて・・・って思えてしまう。

そこで大事なのは想像力です。

・・・第二次世界大戦で青春をめちゃくちゃにされた。家族も死んでしまった。なんとか生き延びたけれど、食べるものもろくにないし、お金もない。これからどうやって生きていこう・・・。
そんな中で「戦争も失業もなく、誰もが平等に暮らせる社会」というのは、魅力的だったんじゃないかな。子供を抱えた親であったり、一人で生きていく力のない若者だったり、手に職のない人だったり、戦争で傷ついた人だったり、体の弱い人だったりしたら、社会主義の理想に傾倒してもおかしくないんじゃないだろうか?それにすがりたいと思うんじゃないだろうか?ゼロから新しい国を作り上げていくんだ!っていう気になるんじゃないか?新しい社会に自分の人生をかけようという気になるんじゃないか?

情熱を注いだ国家がおかしくなっていくのを彼らはどんな思いで見ていたのだろう?
40年を過ごした国が無くなるのはどんなことだろう?
人生をかけた社会を周りから馬鹿にされたらどんな気分だろう?
培ってきた価値観を否定されたらどうすればいいんだろう?

そういう風に考えてみると、「あー、なんとなくわかるかも」ってなるでしょう。っていうか、その辺の気持ちを汲めると、DDRはもう単なる独裁国家ではないんです(^^)。

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by KIKI-Brandenburg | 2007-11-05 08:04 | DDRを知ろう

計画経済と労働の権利

つぶろぐでつぶやいたように、昨日、歴史学のゼミでプレゼンをしました。
歴史ってそんなに詳しいわけではないし、今回は一週間前に突然プレゼンをやってくれと言われ、その上、ほかのゼミでも山ほど読む資料があって・・・と、かなりキツイ状況でした。それでもまぁ、なんとかうまくお茶を濁して(笑)プレゼン、無事終了。

プレゼンのテーマはDDRの経済について。計画経済と労働の権利ということにスポットを当てるわけだったんですが、調べていておもしろかったのは、戦後の状況とDDRの初期の社会事情について。
ということで、せっかくだから、忘れないうちにそのことを書いておきます。ドイツ語で読んだ資料をベースにしているし、経済の知識は無いに等しい人なので、あんまり突っ込まないでください(^^;)

DDRの経済というと、市場経済の対義語である計画経済というのがまず特徴として挙げられます。計画経済というのは、その名の通り、計画してやっていく経済(←超いい加減な定義)で、よくあるのは5年単位で計画するパターン。
ちなみに、計画経済ってのはDDRだけじゃなく、ほかの社会主義の国でもやっていたし、第二次世界大戦あたりまでは、結構メジャーだったみたいです。市場に任せていると、恐慌とか起きて大変だし、社会の根本をコントロールできるのは安心といえば安心。
ただ問題なのは、社会や経済が本質的に流動的であるということ。5年も先のことなんて分からないでしょう。「計画のための計画」に陥ったり、計画にこだわるあまり、時代の変化に対応できなくなる可能性大。
DDRの場合、最初のうちはまぁなんとかなってはいたものの、70年代くらいから西側の国との経済格差はどんどん開いていって、ベルリンの壁が壊れるころには、その差は歴然としてたわけです。

でも、「食うか食われるか」という市場経済と比べていいこともあって、それは
まったりしていたということ。
不意打ちを食らうことが(理論上は)ないわけで、失業する心配もないし、誰かを蹴落として出世しなきゃいけないなんてこともない。言われたことをサクサクこなしていきさえすればよかった。それで、DDRの場合、職場というのは単にお金を稼ぐところじゃなく、同僚とのコミュニケーションの場でもあり、社会活動の場でもあり、休暇をもらう場でもありました。このへん、一昔前の日本の会社とよく似ています。

DDRでは工場や農場は国有だったから、あくせくとマーケティングをする必要もありませんでした。物の値段も決められていたから、ちょっとでも安いのを作らなきゃいけないとか、もっと品質を良くしなきゃいけないというプレッシャーもなし。楽といえば楽。でも、やっぱり手抜いちゃうし、別にいいじゃーんってなっちゃう。進歩がない。

今から思うと欠陥だらけのシステムだけれど、それは労働者を中心にすえる社会主義のイデオロギーと密接に結びついていました。
DDRの憲法では「労働の権利」というのが保障されていました。もちろん、同時に「労働の義務」もあって、とにかく働くということがとても重視されていました。

義務なんていうと、「ごらー、働けー!」と言われているみたいだけれど、働かないからといって牢屋にぶち込まれるようなことはなかったみたいです。むしろ、DDRの人々にとっては、働くということが社会とかかわっていく方法であったし、労働条件は悪くなかったので、働くこと自体を否定する風潮はなかったみたい。

労働が権利として認められているということは、その権利が脅かされてはいけないということ。仮にクビになった場合は、次の仕事をもらう「権利」があったから、失業して路頭に迷うことはなかったわけです。

そして、仕事があるということは、収入があるということ。当然、女性にも仕事をする権利があって、それが保障されていたから、DDRの女性には自分で自由に使えるお金がありました。「誰のおかげでメシが食えると思ってんだ!」といわれる筋合いはなかったんです。だから、一人でも生活していけたし、パートナーと別れてもやっていけたし、シングルマザーでも平気だったんです。子供を預かってくれるところはバッチリ用意されていたから、DDRの女性は安心して子供を産めました。

なにかとバカにされがちな(?)DDRの経済ですけれど、安定志向の人にはピッタリだったでしょうね。考えてみれば、市場経済というのは、とてもシビアで気が抜けない。これはこれで、向かない人には辛いシステムです。

そんなまったりした経済システムをとったDDRですが、それはイデオロギーだけでなく、戦後の状況を見てみると、まんざら間違った選択ではなかったような気もします。
次回は戦後のDDRの社会状況について。(つづく)

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by KIKI-Brandenburg | 2007-11-04 07:06 | DDRを知ろう